小泉斐展も残すところあと10日!
今週から後期展示がはじまっています!!
前期に見に来てくれた方も、もう一度お楽しみいただけるよう後期は充実度アップでお届けしております。
今回は、後期展示のなかでも、とくにこれぞという見どころをご紹介したいと思います!
* 斐の多彩なスケッチ集*
『檀森斎遺稿』巻一~四 小泉斐 東京都立中央図書館特別文庫室蔵
全四冊の『檀森斎遺稿』は、テーマごとに写生図が貼られた冊子で、巻一は動植物、巻二は風景、巻三は人物、巻四は道具類の図をまとめています。
どれもこれもおすすめしたいところなのですが、そのなかでもイチオシはNo.5『檀森斎遺稿』巻三です!!
みなさん、斐展のチラシ裏面のこの写真に見覚えはありませんか?
「斐が京都の茶屋で実際に出会った像 そのスケッチの出来栄えは・・・」
斐が描いた「狂言通圓像」のスケッチが収録されているのが『檀森斎遺稿』巻三になります。
斐が通圓像のスケッチを描いたのは、寛政7年(1795)の26歳の頃、水戸藩士たちとともに関西調査旅行におもむいたときのことでした。
会場では、モデルとなった「狂言通圓像」と斐のスケッチをならべて展示しております。
「狂言通圓像」は、現在も宇治橋のたもとにある通圓茶屋さんで代々大切にされてきたお像で、今回特別に展覧会への出陳がかないました!
実に225年ぶりの邂逅(かいこう)!!?こんな機会、もうないかもしれません!
ぜひ会場で本物の「狂言通圓像」と斐のスケッチを見比べてみてくださいね♪
在りし日の宇治での出来事を想像すると、丹念に写そうとする斐の息づかいが聞こえてくるようです。
そして!なんと!ミュージアムショップでは、斐展のための特別入荷で通圓茶屋さんの新茶を販売しております!!
斐も通圓茶屋に立ち寄ったときには、名物のお茶を飲んで休憩したという記録もあるのですよ~!
斐が宇治にいた225年前に思いをはせ、おうちで一服してみませんか?
*これは見なきゃ損!斐の富士登山図!!*
No.79 富嶽全図巻 小泉斐 栃木県立美術館蔵
宇治で通圓茶屋を訪ねた寛政7年の関西調査旅行の帰り道には、水戸藩士らとともに東海道の途中で富士登山にも挑戦しました。
斐はそのときの体験をもとに、富士山を登って下山するまでの一連の道のりを描いた富士登山図をいくつか遺しており、そのなかでも斐直筆の完成作品が「富嶽全図巻」です。
斐の富士登山図は、実体験による新鮮さから同時代や後代の画家に大きな影響を与え、関東文人画壇の超有名人!谷文晁(ぶんちょう)も斐の図からほとんど同じ富士登山の図巻を制作しています。
とってもよくばりな後期展示は、斐直筆の「富嶽全図巻」、斐が晩年に版本(木版画)により刊行した『富岳写真』(後期展示:No.81茂木町まちなか文化交流館ふみの森もてぎ蔵本)、斐の図を模した文晁の「富士山中真景全図」(静岡県富士山世界遺産センター蔵)を一同に目にすることができるのです!!
同じ場面を展示していますので、その違いをゆっくり見てみてくださいね!
*見たらきっと元気になれる!*
No.58 鍾馗図 小泉斐 個人蔵
最後にご紹介するのは、怒りの形相の鍾馗さんです。
鍾馗の絵は、現在でも5月の端午の節句に子供の成長を祈って飾られることが多いものですが、魔除けや厄除け、そして病除けの神として信仰されてきました。
中国には病を撃退する鍾馗のお話があります。
唐時代の玄宗皇帝が病の床に臥していたとき、夢の中に鍾馗が現れ、悪さをする子鬼を退治し、玄宗の病が癒えたというのです。
その後、玄宗は夢に出てきた鍾馗の姿を宮廷画家に描かせました。これが鍾馗図のはじまりとされます。
斐の「鍾馗図」にも、よく見ると鍾馗の足元に破れ笠に隠れる子鬼(悪疫)が描かれていますね。
この子鬼、鍾馗に見つかると、目玉をえぐられ、からだを引き裂かれ、食べられてしまうのです......!
そんな末路とは思いもつかない、なんとも愛くるしいつぶらな瞳の子鬼ちゃんです。
絵に添えられた文字からは、天保5年(1834)5月吉日に描かれたことがわかり、つまり端午の節句のための制作でした。
力強い覇気みなぎる鍾馗さんと、そんな鍾馗さんから逃げようとする子鬼ちゃんの絵は、子どもにもやさしく魔除けの祈りを伝えるかのようです。
どうぞみなさまも、この絵の前で、鍾馗さんの元気なパワーをもらい、子鬼ちゃんのかわいさに癒されてみてはいかがでしょうか?
まだまだ語りつくせない魅力がいっぱいなのですが、つづきは会場内で実際の作品を見てお楽しみいただければと思います!
会期終了まで、あと、10日!!!
すでに見に来てくださった方も、まだの方も、ぜひともご来館お待ちしております!!!
(人文課 久野)
コメント