今月12日に開館してからあっという間に時が過ぎ、小泉斐展もそろそろ折り返し地点となりました。
本展は会期中に一部展示替えを行います。
前期展示はなんと、5月31日(日)まで!
今日は、前期のみ展示の資料のうち、とくに見ていただきたい3件の資料をご紹介します♪
*ただいま師匠より勉強中!*
No.6 書付 小泉斐 天明4年(1784) 個人蔵
文字が三行ほど書いてあるだけですが、こちら、実は斐の修業時代の様子をうかがい知ることができる、現存最初期の資料のひとつなのです!
これには、天明4年(1784)の仲秋、当時数え年で15歳だった斐が師匠である島﨑雲圃の絵を模写したということが書かれています。
この資料は文字だけで、それがどのような絵だったのかはわかりません。
しかし、草の一部分のような墨線が右から左に描かれており、おそらく失われた右側に絵があったものと思われます。
また、最後の行の末尾に、「木勝甫臨模」とあるのに注目!
小泉斐はもともと木村という家に生まれ、最初の名を勝、字(あざな)を桑甫としていました。
ゆえに「木勝甫」とは、当時の斐のことを示しています。
同年に描かれたNo.7「諸葛孔明図」とならび、斐の足跡を知るうえでたいへん貴重な資料となります。
*銅版画にも挑戦!?*
No.26 象図・書簡 小泉斐 文化11年(1814) 滋賀県立近代美術館蔵
斐から島﨑種徳(号、如岡)という近江の日野商人に宛てられた書簡とそれに付随する象図です。
この象図は、たて8.5cm、よこ11.7cmという小さな紙片ですが、絵に添えられた文字には「刻鏤試之」とあり、銅版画に挑戦したことがうかがえるのです!
西洋からもたらされた銅版画の技法は、この頃、司馬江漢や亜欧堂田善といった画家によって日本でも発展していましたが、まだまだポピュラーな手法ではありませんでした。
どのような背景によって、斐が銅版画を試したのかはわかりませんが、この資料からは、たしかに斐の挑戦の痕跡を知ることができます。
ちなみに、文化10年には長崎に象がやってきており、そのときに写され流通した象図の版本を参考に、斐はこの絵を制作したものと考えられます。
書簡には、「これまで画家に伝えられる象の形とは異なる」と述べられ、リアルな姿を伝える象図を目にした斐の生の驚きが感じられます。
*願いを込めた晩年の逸品*
No.68 和合神図 小泉斐 天保12年(1841) 個人蔵
晩年の斐は、筆の勢いにも衰えがみえはじめるものの、変わらず精力的に描き続けました。
この絵もよく見ると、人物の顔の輪郭線や髪の毛などの墨線は、かつての繊細さを欠いた太めの線ですが、かたわらの亀の甲羅にはいくえにも色が重ねられ、歳を重ねた斐の巧妙さが見えます。
画中には、「七十七」と年齢が書き加えられています。
でも実はこれ、ウソ!!
なぜか斐は、70歳を過ぎたあたりから5歳ほど年齢を増やして絵に書き入れるようになりました。理由は不明です。
つまりこの絵が描かれたのは72歳のことなのですね!
さて、絵のテーマとなっている和合神とは、中国で婚礼のときに祀られた道教の男女和合の神です。
絵の中に添えられた文字から、この絵は親族の女性の注文を受け、家庭円満の願いを込めて描かれたものとわかります。
会場内の「和合神図」の前で愛を誓いあったカップルには、幸せが訪れるかも......???
今回ご紹介した3件以外にも前期で展示を終了してしまう資料がいくつかございます。
前期展示は5月31(日)まで!!
ぜひお見逃しのないようお越しくださいませ。
そして、後期はさらにパワーアップ!!
展示替え後には、後期展示の見どころもお伝えできればと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
(人文課 久野)
★★毎週金曜日(目標)に斐展紹介動画を更新しています★★
展覧会の見どころをみーたんと一緒に鑑賞しませんか?
これまでの「みーたん劇場」動画まとめ
第一弾「みーたんと猩々(しょうじょう)くん」
https://twitter.com/TochigiPrefMuse/status/1256061899579338753
第二弾「みーたんと斐さんの人物画」
https://twitter.com/TochigiPrefMuse/status/1258569313549602818
第三弾「みーたんと狂言通圓像」
https://twitter.com/TochigiPrefMuse/status/1261823351032446976
第四弾「みーたんとリアルな斐さん」
https://twitter.com/TochigiPrefMuse/status/1263698138604290048
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