みなさん、こんにちは!
春らしい暖かい日が増え、外に出かけたくなるものの、花粉に悩まされる方も多いのではないでしょうか。
そんな最中の3月17日(日曜日)、県博デーにて、キッズツアー「丸いなべと細長いなべ」を行いました。
なべは、家庭に必ずひとつはあると言ってもよいほど身近な道具であり、かつ何千年も前から使われている歴史の古い道具でもあります。
今回はかたちの変化に注目して、なべの歴史のお話をしました。
まずはじめは展示室めぐり。
ご覧いただいた展示資料には「なべ」だけでなく「かま」「甕」「深鉢」などのいろいろな名前がついていますが、煮炊きをする道具という共通点があるため、なべの仲間と言えます。
時期の新しいものから古いものの順に、どんななべが使われてきたのかを、かたちに注目しながら見ていきました。
大正や昭和の頃のなべやかまは、丸くて背が低いかたちをしています。
古墳時代の甕と現在使われている炊飯器のかまを見比べてみると、かたちの丸いところがよく似ていますね。
一方、縄文時代の深鉢は細長くてごつごつしています。
今回は、古墳時代以降のなべを「丸いなべ」、縄文時代と弥生時代のなべを「細長いなべ」としてご紹介しました。
正確には、古墳時代後半や中近世のなべには丸くないものもありますし、地域によっては弥生時代から丸いなべを使用する所もありますので、ご興味のある方はぜひ調べてみてくださいね。
さて、かたちの違いがわかったところで、次にかたちが変わった理由をお話ししました。
なべのかたちが変わったことには、温め方の違いや、人々がお米を食べるようになったことが関係しています。
お米を食べるといえば、学校の授業では、日本における稲作は弥生時代に始まると習いますね。
そして、お米を炊くのには丸くて薄いなべが適しています。底の部分に集中的に火が当たり、薄いぶんなべ自体が温まりやすく、短時間で効率良く加熱できるためです。
つまり、弥生時代のなべは丸いはず、ですが...
栃木県で見つかる弥生時代の甕は細長くて、古墳時代の甕よりも縄文時代の深鉢にそっくり!
現在の栃木県で丸いなべが使われるのは古墳時代に入ってからであるため、お米を食べるようになったのも古墳時代からだったのかもしれません。
外国から伝わった稲作が現在の栃木県で定着するまでには、とても長い時間がかかったようです。
最後に、縄文時代の深鉢と古墳時代の甕の実物を、参加者のみなさんに特別に触っていただきました。
「厚さが違うね」「ざらざらする」
実際に触ってみると、目で見ているだけではわからないことに気が付きます。
また、展示されている状態では見えない部分もじっくりと見ることができたのではないでしょうか。
今回のお話をきっかけに、身近な道具の歴史について興味をもっていただけたら嬉しいです。
参加者のみなさん、お話を聴いてくださりありがとうございました。
次回のキッズツアーは「日光にいるよ!ねむりねこ」です。
えどじだいの日光はどんなところだったのかな?ねむりねこのいる展示室をしょうかいします。
開催日時は、4月21日(日曜日)13時30分から14時までです。また、この日は県博デー(博物館の日)として、他にもたくさんのイベントを開催いたします。
みなさまのご来館を心よりお待ちしています!
(教育広報課 解説員 奥山)
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