【戸田氏展】終わる前に...ここだけは見てほしい! 第114回企画展 ~その2

 ブログをご覧の皆様こんにちは。

 会期もの残りわずかとなった第114回企画展「宇都宮藩主 戸田氏ーその歴史と文芸ー」。前回は甲冑をご紹介させていただきましたが、今回は宇都宮戸田氏発展の礎を築いた、2代目・戸田忠次についてご紹介させていただきます。

 忠次は宇都宮戸田氏の初代・光忠の嫡男として、享禄4年(1531)に三河国(現、愛知県)で生まれました。忠次が歴史の表舞台に登場するのは永禄6年(1563)。この年、徳川家康の治める三河国で一向一揆が蜂起します。これに家康は大いに苦しめられますが、この時忠次は家康の元に駆け付け、一向一揆鎮圧に貢献しました。これを機に、忠次は家康の家臣となります。

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←(伝戸田忠次所用兜、当館蔵。正面に家紋・六星紋!)

 家康に仕えた忠次は、その後、武田信玄や豊臣秀吉との戦いにも従軍しました。また、天正18年(1589)の後北条氏との戦いでは徳川軍の後陣の総大将を務め、葛西上攻略では「その功抜群」と評されました。さらに、朝鮮出兵の際(※朝鮮半島には行っていません)、老齢にもかかわらず肥前国名護屋(現、佐賀県唐津市)にかけつけ、家康だけでなく時の天下人・秀吉からも「三河の勇士」と絶賛されました。

 こうして家康につくした忠次は、慶長2年(1597)に、下田城(現、静岡県下田市)で亡くなります。しかし、忠次は家康、さらには江戸開幕につくした忠臣として、後世語り継がれました。

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←(徳川家康二十将図、当館蔵。家康とその忠臣20人を描く。とにかくデカイ)


 ...では皆様、最後にクエスチョンです。

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←(徳川家康二十将図の拡大図。真ん中一番上が家康)

Q、家康と忠臣20人を描いたこの図。では、忠次はどこにいるでしょうか???(※ヒント:六星紋)

......皆様、わかりましたでしょうか??答えはぜひ、当館展示室でお確かめください!!

(注意)展示は6月12日(日曜日)までとなっております。十分ご注意ください。

 皆様のご来館を、心よりお待ちしております !!(^^)




~その3へ続く...?

(人文課・重藤)